こんにちは、ゴリログ(@GoriLog)です。
最近、僕が参加している和佐・木坂サロンというオンラインサロンのなかで、よく
『幸せ』
をテーマに対談などで話されていることが多いです。
それは人間が生きる目的を最も抽象化していくと、「結局、人は幸せになるために生きているから」という単純な理由なのですが。
ただ、『幸せ』って結構ボンヤリしている概念なので、中々それを定義する事自体難しいし、それを達成するのも難しいと思うんですよね。
お金がたくさんあれば幸せか?っていうと、そんな単純な話でもないし、子供が沢山いれば幸せか?っていうと、それもまた一概にはいえません。
で、そういった事を色々と和佐氏と木坂氏が話しているわけですが、その中で僕が最近
「ハッ!!!」
と気付かされたことがあったんで紹介します。
それっていうのは、木坂氏のこの発言です。
これって、それだけを聞くとめちゃくちゃ独りよがりで、自己中心的な考え方のように聞こえます。
ただ、それは全く逆なんだ、っていうが木坂氏の主張です。
例えば、若い夫婦がいたとします。
旦那さんは子供がほしい。でも、奥さんは子供はほしくない。でも、親からも「早く子供を作ったら?」と言われている。
・・・という状況だとします。
これって、奥さんとしては辛い状況だと思うんです。
これを周りの意見を聞き入れて、子供を作ったとしたら…。
多分、奥さんの立場としては望んでいない出産なので幸せではないですよね?
ひょっとしたらストレスで精神的におかしくなるかもしれない。
そうなると、その周りにいる人たちも幸せな状況ではないと思うんです。
だからこの場合、奥さんの立場からしたら、自分の幸せを優先して
子供を作りたくないことをハッキリ言う
もしくは
その場を離れる(別居など)
っていうような選択が大事だと言うことです。
そうやって、自分の幸せの優先順位を上げないと、結果的に周りの人たちも不幸になる、ということです。
「自分を犠牲にして周りを幸せに」っていうのは論理的に無理なんですね。
この話を聞いてなぜ僕が「ハッ!!」としたかというと、最近妻とこういった話をしてたからです。
いや、子供を作る作らないっていう話じゃなくて「自分たちの幸せ」ついて、です 笑
僕は子供が生まれた時から、
「子供のためならいつでも死ねる」
みたいな事を言っていたんです。
例えば僕の命30年分で、子供たちが3年寿命が延びるんだとしたら喜んであげたい、と。
もし、僕の命で子供たちが幸せになるんだったらいつでもあげられる、みたいなことを、最近も妻と話をしていたんです。
で、それは本当にそう思って話ていたんですけど、木坂氏の話を聞いて
「それは単なる僕のエゴだな」
ということに気づきました。
要するに、僕が子供たちの幸せのために死んだとしても、多分、子供たちは幸せじゃないんですよね。
僕は、「これでも子供たちが幸せになった」と思って死んでいって満足かもしれませんが、残された子供たちは多分不幸なんじゃないか、と。
そもそもお父さんがいなくなること自体不幸だし、もし自分たちのせいでお父さんがいなくなった、っていうのを知ったら、自分を責めるじゃないですか。
そういった当たり前の事が、今回の和佐氏と木坂氏の対談で気付かされました。
なので、僕はこれから、もちろん家族の幸せも考えますが、自分の幸せも追求していくよ、ということを妻には伝えました。
まぁそれが何かはまだ明確にはなってませんが…笑
まぁ徐々に見つけていければ、と思います。
ということで今回は以上です。
では。
まずは何より自分の幸せを優先して考えろ